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NEW231 越路道行 (こしじみちゆき)
【作者】十倉綱紀作。大須賀某書か。【年代】明治二年(一八六九)頃作。明治初年書。【分類】地理科。【概要】異称『会津国替名残歌』『会藩国替名残歌』。半紙本一冊。戊辰戦争に敗れた会津藩のうち高田藩預けとなった塩川謹慎組の一人である十倉綱紀が謹慎中に著した『会津国替名残歌』を手習本としたもの。内容は明治二年一月に会津から越後国高田までに移動するまでの行程やその時々の思いを和歌に詠んだもので、会津から越後街道を経て高田城下に至るまでの宿場町や名所や風景などが書かれており、地理科往来として若松滝沢町の大須賀家で使用されたものである。「浮ふしのかはわばかわる世のならへ、昔俊基朝臣は土岐十郎頼定(頼貞)がうたれし後召捕れ、はれて我住馴し九重之都の華も後に見て帰らぬ旅に出給ふ…」と起筆し、藤原俊基の『道行の文』になぞらえ、「徳川の忠義の為に捕らはれて…こしぢ(越路)の旅に出にけり」「鶴ヶの城をながむれば涙に曇て見へ分かず…」と会津を出発する自らの心境を述べたうえで、会津から新発田までの越後街道、さらに加茂、三条、四日市、寺泊、出雲崎、柏崎、鯨波、柿崎を経て高田藩に至る沿道の宿駅や名所旧跡や風趣に触れ、一月二五日に高田城下に到着し、寺々の仮住まいの様子などを述べた後で、「君が代のため、流れても、またながれても、ながれても、流れや尽じ徳川の水」と結ぶ。本文を大字・四行・付訓で記す。
★読み書き教材として使用されたものと思われ、異色の地理科往来と見なしうる。



NEW232 至要抄 (しようしょう)
【作者】伝弘法大師作。長友松(玄海堂)書(明和七年(一七七〇)板)。【年代】鎌倉前期作か。古写本は明応七年(一四九八)書。ほかに近世写本に慶安三年(一六五〇)写本がある。刊本は明和七年、[京都]中井平次郎(東壁堂)板、また別に安政五年(一八五八)、[京都]真六角堂能満院板あり。【分類】教訓科。【概要】異称『至要鈔竝制戒文』『至宝抄』。慶安三年写本は横本一冊。明和板・安政板は半紙本一冊。「入釈門新学、以学文為先、交儒家少生、以礼儀為始…」で始まる五言一句、一六四句(『続群書類従』第九四五)あるいは一七二句(安政板)、または一七六句(慶安三年写本および明和板)から成る教訓で、空海作にも仮託されるが作者は未詳。内容は、『実語教』†と同様に学問の意義や姿勢、勤学のあらましや人倫一般、生活心得、来世を念頭においた現世での過ごし方を説いたもの。文言中に『実語教』『童子教』や室町前期作『実語教注』†と酷似した文言が随所に見えるため、それらとの関連が注目されるが、内容面から本書が『実語教』と『童子教』の橋渡しをしたとする説もある。ただし近世の寺子屋教育ではあまり使われた形跡はない。なお、慶安三年写本、安政板は本文を楷書・大字・六行・無訓で、また、明和板は行書・大字・五行・無訓で記す。
★写真は初めて発見された明和7年板 『至要鈔』。江戸時代の刊本はこれで2例である。


NEW233 百姓教訓(百姓身持心得之覚) (ひゃくしょうきょうくん)
【作者】不明。【年代】天明六年(一七八六)書。【分類】産業科。【概要】異称『百姓教訓』『百姓身持心得書』『百姓身持心得之覚』。天明六年写本は大本一冊。農民の生活心得を箇条書きに記した教訓書。現存本には箇条数や内容に異同があり、後人の補遺が随所になされて広がったものと考えられる。仮に謙堂文庫本によれば、「一、天地之変は計りがたき事にて、明年にも皆無の凶年有間敷ものにもなし…」で始まる第一条以下全一五カ条から成り、第一条「備荒・救荒の心掛け」、第二条「稲・麦の重要性」、第三条「衣食住の心得」、第四条「伝統的祭礼の尊重」、第五条「養生・保健・学問・芸能」、第六条「富農への戒め」、第七条「勤勉な農民の感化」、第八条「公儀・法度の遵守」、第九条「農村経営と名主心得」、第一〇条「四季耕作への出精」、第一一条「大風・大雨・旱損・水損等の災害対策」、第一二条「農地の有効利用」、第一三条「飲酒心得」、第一四条「牛馬飼育」、第一五条「耕作技術の啓蒙・普及」の順序に説く。また、小泉本末尾には「右十九ヶ条令書写、領分一ヶ村え一帖宛可遣。猶又、民之助けに可相成事存付、追々可申出者也」と結ぶように、もともと教諭書であったものが往来物として使用されたものであろう。

★写真は今回新発見の最古本(天明6年写本)。



NEW234 兵庫県郡名・加東郡新旧村名・幼稚教草 (ひょうごけんぐんめい・かとうぐんしんきゅうそんめい・ようちおしえぐさ)
【作者】不明。【年代】明治二二年(一八八九)頃作・書。【分類】地理科・教訓科。【概要】大本一冊。表題の三つを合本した往来。うち「加東郡新旧村名」に新村一五カ村を列挙すること、また、「兵庫県郡名」が三三郡であることから、本書の成立は明治二二年四月(大正二年六月以後、一町一四村)以降、かつ、明治二九年四月以前であることは確実だが、「新村」の表記から明治二二年に間もない頃の成立と思われる。「兵庫県郡名」は摂津国五郡、淡路国二郡、播磨国一六郡、丹波国二郡、但馬国八郡で、合計三三の郡名をそれぞれ楷書・行書で列記したもの。「加東郡新旧村名(加東郡古村新村村名)」は同郡の新旧村名の対比を示したもので、「河合村」以下一五の新村を各行の行頭に楷書で掲げ、それに対応する旧村名を行書・小字で列挙し、さらに新旧村名の変遷について述べた小文を付け加えたもの。「幼稚教草」は「一、父母の命に随うはずしては人の道立べからざる事」以下三二カ条および後文からなる教訓で、人倫全般や学校での態度を始め、礼儀、婚姻、病気、使用人への態度、法令遵守、家業出精等の心得を諭したもの。「兵庫県郡名」と「加東郡新旧村名」は本文を大字・六行・無訓、「幼稚教草」はやや小字・九行・無訓で記す。
★郡数や村数などによって、成立年代が推定できるが、その都度内容を改めた可能性も皆無ではないが、明治中期成立と考えるのが妥当であろう。



NEW235 藻汐草 (もしおぐさ)
【作者】不明。【年代】安政六年(一八五九)書。【分類】社会科。【概要】大本一冊。年中行事や嘉例、通過儀礼、婚礼、出産にまつわる用語を列挙した往来。「先、初春は門毎に注連縄(しめなわ)飾、松と竹、橙(だいだい)、野老(ところ)、神馬藻(ほんだわら)、歯朶(しだ)、藪柑子(やぶこうじ)、伊勢蝦や…」で始まる七五調の文章で綴り、末尾を「…安産用意には、胞衣桶(えなおけ)、胞衣納、七夜の産着、細石(さざれいし)の、百々日の祝ゐ、喰初まで、みな古実を経営す。猶くわしく学ぶべし。穴賢」と結ぶ。本文を大字・四行・付訓で記す。
★一種独特な年中行事型往来。